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新説!所JAPAN【平成動物タマちゃんブーム徹底調査!令和予想で磯田仰天真実】

での話。磯田道史氏が「何故日本人はあんなにタマちゃんに夢中だったのか」という問いに「江戸時代にも同じようなことがあり、日本人は来訪神として対象を崇める傾向がある」ということを言っていた。

 分からなくはないが、正直首を傾げたくなる内容だった。

だったらその地域に石像のの一つでも立てて崇めればいいのに、グッズなどを作って販売している辺り、そんな高尚な目的(意識)じゃなく、単純に『祭りの一種』として騒いでいるだけだろう、というのが個人的な見解である。

タマちゃんが来たのも物珍しいものに飛びつきやすい日本人だからこそ起こりえた現象だろう。恐らくそんな深い理由はない、と断言したいところである。

また、次のテーマで「何故日本人は動物園の動物の名前公募をして票が集まるのか」というものだった。

外国ではあまりない事で、名前は大抵偉い人がつけたりするのだが、無関係な一般人が名前をつけることはないらしい。

これについて磯田道史氏は「名前を付けることで人格化をして親しみやすくするため」と言う事を述べていた。江戸時代の偉い人(誰かは忘れた)も「猫に名前をつけお前は私の心を汲んでくれるか」という文を残している、という理由があるかららしい。

これに対して私は正直吐き気を催すぐらいの拒絶反応があった。

『名前をつける=擬人化(人格化)』という発想が受け付けないのだ。

なぜ人ではないものを人としてみようとするのか。

例に出した江戸の文も、そんなつもりで言っているのではないと思う。

名前をつける=親しみやすくするのは分かるが、決して人格化をしようとしているものではない。これは私が人嫌いのせいもあるが、人以外の動物を人のように見ることは決してない。

人間関係に疲れた者が、ペットを飼って癒されるのは、『人にはないものを持っているから』である。

それを人格化などしてしまっては全くの無意味である、と。

『人でない動物を人と同じように並べようなどと、人の浅ましい考えに他ならない』と私は考えている。

人を含め動物にはそれぞれ特徴短所長所があり個性がある。

そもそもだが、『何故名前を公募するのか』に対しての個人的な答えは

  1. 客が親しみを持ちやすくなるから(名付け親は尚更)
  2. 名前を考える手間が省けるから
  3. 宣伝になるから

という現実的な考え最初にくる。夢もロマンもへったくりないが、個人的にはそんなものだろうと思う。

少なからず、私はこの磯田道史氏の考えには賛同しかねる。

私だけかもしれないが、ペットを飼っている人は「家族だとは思っているが人格化した覚えはない」と思う。

先ほども述べたが、『人の視線で人と同じように扱う』のは、対象に失礼であり人間の業のようなものを感じた、今日この頃だった。

 

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